Junk Essay. 弊社社長のクダラナイ雑記
音楽収録プロジェクト(2) 2009.9.15
そして具体的に走り出したプロジェクトではありますが、果たして何処まで走って行けるのか?は、まだ誰にも判りません。ただひとつ言える事は、「どうやったら”走り続けられるか?”」というところにプロジェクトの力点を置いている、ということです。
これを続ける上で一番辛いのはやはり制作費の捻出。これについては作った映像自体がお金を生む仕組みを最初に持っているわけではありませんから、仮にマネタイズ(お金にする手段のこと)が出来たとしても、それがいつ、どのような方法で結実するかは誰にもわかりません。かといって、「タダで作れる品質」のものには自ずと限界があります。そうなると、いつどのようなポジションでも耐えられる映像をタダ同然で作り続ける、という二律背反のような制作を続けなければなりません。
そうするといろんな制約の中でそれを作る必要があります。原則としてレギュラーの収録はお世辞にも広いとは言えない自社スタジオで、演者の費用弁償も十分とは言えない中での制作であるかわりに、ピアノは整備万全のスタインウェイ(勿論D型)、一流のテクニシャンをフィーチャーして収録・編集はHD(ハイビジョン)、録音は当然ProTools。と、まずは何とかなりそうな体制で向こう2年くらいは月1収録でなら続けられそうなところまで持ってきたので、あとはこれを奏者がどう思うか?で継続の方策ははっきりして来ると考えます。
そして、今回のプロジェクトに限ったことですが、「演目の選択に制約がある」ということ。これについては過去の制作から得た経験と、事前にいろんな人にインタビューをして私自身の責任で決めたことのひとつなのですが、簡単に説明すると、「弾いたものを撮る」と「撮るために弾いてもらう」の違いです。要は「タイム・イズ・マネー」である限りは何処かの完成度で「区切り」を着ける必要がありますから、「弾いて頂く」という原則がないと何時までも完成を見ない可能性が高くなり、それは経験上確実に起こり得ます。「プレイヤーの気持ちを尊重しないのか?」という批判があることは重々承知していますが、今回は仕事である以上どうしてもこの原則が必要です。恐らくは5本・10本と公開を重ねる毎に、この原則の意味と意義は深まると確信しています。(続く)