Last Updated 2018-06-22

Junk Essay. 弊社社長のクダラナイ雑記

オーケストラ 2012.05.05 

月から2012年の募集関係の記事を掲載。ピアニストの募集については、今後もうちのレーベルはピアノが主戦であることに変わりはないので、腰を据えてコマーシャルで音楽をやることを本当の意味で理解出来るアーティストを発掘して行くことになった。

 今年は全て課題曲で二段階選抜、しかも当該者不在の場合は打切終了、なので、今年は応募者はもういないんじゃないかと思っている。が、うちは自主制作請負レベールではないので、ハードルを下げるつもりはない(むしろもっともっと上げたいと考えている)ので、応募は早ければ早い程チャンスがある、と考えて欲しい。そして今リストされているアーティストは、世界中の音大から毎年大量にロールアウトする若手演奏家のパフォーマンスが刺激になれば自ずと精強性が向上し、このレーベルの質的向上に大きく貢献すると考えている。

 そしてもうひとつ、一昨年前から何度も折に触れて話していたが、ついにオーケストラの募集を始めた。果たしてこれが上手く集まるかどうかはわからないが、少なくともこの態勢に興味がある14人くらいは集められると信じている。最初はバッハの収録やるので編成が小さく、チェンバーオケの最小施行人数だが、このコアが商業的に少しずつ成長することで、やれることも増えるし、いづれ公金や寄付などに全く依存しない、純然たる商業オケにしたい、と考えている。だからこそ、「金」というつまらないドグマについていちいち説かなければならない若者を排除して、「やる気も実力もあるが機会がない」という大人だけを選抜して結成したいと考えている。

 もう4年くらい前になるが、かつて日本音楽コンクールで優勝した経歴を持つピアニストが、「現在のようにコンピューター万能の時代にあっては、協奏曲の伴奏はコンピューターの演奏で充分、生オケは不要」と公の場でメジャーのプロデューサーに向かって断言したことがあった。彼程の者が何を言い出すかと思えば「人の演奏は不要」などという発言。俄に耳を疑いたくなったが彼は本当にそう言い放ったのである。(今更不規則発言とは言わせないからそのつもりで。)

 この発言を聞いたときに私が思ったこと。それは「断じてそれはない」ということと同時に、「オーケストラの価値は其処迄凋落している」という事実を受け入れなければならないということである。残念だが我が国においては公金や寄付にドップリと依存している既設オーケストラの殆どが、債務超過などによる助成金の打ち切りの瀬戸際にあり、いつ解散してもおかしくない(というより本来であればとっくに解散するべき)オーケストラが殆どである。そしてそれは何も日本に限ったことではなく、世界中のオーケストラが現実に直面している問題であり、今更此処に座席を求めても、存続すら危うい、ということに変わりはなく、そして信じられないことに、奏者の殆どがこの事実を不知(というより自分の問題という認識が極めて希薄)なのである。

 逆説的には、これから新しいオーケストラを創る、ということは、既存オケが直面する問題を解消すれば良い、ということになる。そうなると商業的に「常勤で給与が当たる」というオケを作るということは不可能なので、そういう状況にフィット出来るオーケストラの「仕組み」が必要になるわけである。

 で、今回このオーケストラのフィットする仕組みは「収録単位」で活動するオケにする、ということだ。要は収録の名目に合わせて活動して、それを何らかの形でマネタイズするという方法だ。無論、安定した収入が得られるわけではないから「就業」の意味はないが、この収録が必ず何らかの「商品」に変換されるので、これらの事実が積み重なって、安定した収益が得られればその活動機会はライヴなり印税なりというところで収入が得られるオーケストラに成長していく可能性がある、ということだ。これは即ち、安定した収入が得られるオケになるかならないかは、私と、そしてオーケストラの団員次第、というわけである。そしてそれを皆に理解してもらおうなどとは微塵も思っていない。が、毎年夥しい数の弦楽奏者が音大からロールアウトしている状況から勘案すれば、若者はメジャー主宰の他所のフェスティバル・オケに任せて、まずは大人の奏者で14人くらいはこの考え方に迎合出来るプロフェッショナルはいるであろう、ということである。(了)

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