Last Updated 2018-06-22

Junk Essay. 弊社社長のクダラナイ雑記

パッケージ 2011.02.05 

011年最初となるVOL.9をようやくリリース。結局1ヶ月お休みを頂いた格好ですが、実は12月中旬から一日も休みがない状態が今も続いていて、あってもあっても時間が足りない、そういう状況であります。ついでといってはなんですが、お金もないので予算の都合でちょっとだけ収録をお休みしていたというのは内緒ですw。

      調整中(DPIC-Kashiwai Studio)ところでこのところ思うように休めない理由のひとつが今年やろうとしているもののひとつであるレーベルの発足。今更CDかよっ!って感じですが、シリコン記録全盛の現在にあっても、現時点で最も普及していて、普遍的なメディアであることには変わりはなく、インターナショナルで発売することを勘案するとこの点は避けて通れないわけです。勿論、CD自体は音楽をマネタイズする数あるセグメントの一部でしかなく、主力はビットストリームであって、CDはそのためのホモロゲーションに過ぎません。

 意外に知られていないことですが、商用のCDには、流通や正常な再生のための様々な約束事があって、まともに店頭にそれを並べようと思ったら、iTunesとかでCD−Rで身勝手に作るレベルでは100%それを適えられません。いわば商用と非商用を分ける分水嶺のようなものです。ところが近年はディジタル・イノベーションの恩恵で、そういう面倒なルールの許でしか流通出来ないCDに見切りを付けて、どんどんストリームメディアで具体的に作品が流通しています。今はCD自体を出さずに商用流通している作品も多く、5年前に「この5年で日本のCDの売り上げは頭から3割減った」と言っていた私も、「この10年で日本のCDの売り上げは半分になった」と、内容をアップデートしました。

 それでもなんでCD?といえば、売り上げの云々というところではなくて、お金を出して買ってもらうところに適う「パッケージ」としての音楽をきちんと作る「ルール」と考えるからです。今となっては規格そのものが時代遅れですが、それでも、手に取ってひとつの「商品」として対価を支払い、それらを「作品」として楽しむ。「買って嬉しく、聴いて楽しい。」というある程度の見込んだ結果が得られるひとつの「パッケージ」として優れた規格であり、その規格から派生したビットストリームの商品もまた、全体のパッケージの一部であり、聴く環境を互いに補間する商品なわけです。

 この会社の場合、クラシックというジャンルの音楽を取り扱う「アコースティック・ファーム」ですから、どのジャンルの音楽よりもユーザーの視聴環境には多様性があって、それらに応えられるレーベルでなければならないわけです。そして何処よりも後発のレーベルであって、制作機能全体が、作品の中に「パッケージ」として組み込まれてるわけです。現在リリースに向けて収録を継続中ですが、一昨日、最初の作品となるRecが完了し、製品化の「パッケージ」作業が始まりました。製品になるまで、まだまだ多くの工程がありますが、優れた作品をカチッとしたパッケージで皆様にお届けしたい。日々そう考えております。(了)

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